2024年は多難なスタート。

元旦に親戚の一家がウチにやってきて、皆でコロナ前以来の

親族団らんを楽しんでいたその時です。家が揺れました。

それもかなり長い時間の、ゆらゆらとしたユレでした。

ウチの娘たちも従兄の子たちも、不安そうに揺れる電灯を

見上げていました。

 

能登半島地震。

元旦の団らんを楽しんでいた方々が、僅か数分の激震によって

奈良の底に突き落とされてしまった。それを思って心が痛むと

同時に、決して他人事とは思えない現実に愕然としました。

そう言う災害が起きる列島の上に、我々は住んでいます。

それを改めて実感させられる出来事が、元旦から起きてしまった。

とにもかくにも、一日も早い復興を願うばかりです。

 

その翌日。

羽田空港で災害支援に向かおうとしていた、海上保安庁機と

日本航空機が接触。双方とも炎上して海上保安庁職員の方々が

五人も亡くなられました。完全な殉職です。

日本航空機の乗客乗員全員が奇跡的に脱出し助かったのが、

せめてもの救いだったと思います。

 

そのように自然災害だけでなく、ヒューマンエラーによる

大きな事故も起こるときは起こってしまいます。

海の向こうではあちこちで戦火が止まず、災害も事故も起きる。

それがこの世の中の現実だと。

 

なので気を引き締めつつも、自分に出来る事を今まで通り

精一杯やって行くしかない。

それが年初に抱いた、2024年の抱負です。